産後187日目 ルーツ

昨日は直帰。17時過ぎに客先を出たんだけど、戻っても資料作り程度しか残っていなかったので翌日に回した。
で、同行していた後輩と新橋駅に向かって歩いていたら、パチンコ屋で何やらイベントがあったので、二人とも嫌いじゃないのでフラっと。
20時過ぎまで打って、僕は5000円勝ち、後輩は2万円!負け。
思うような戦果を上げられなかったので、二人ともトボトボ帰途に。
でも僕は5000円勝ったので、後輩と別れた後にグリーン車
新橋駅でふと目に付いて買った最近売れている「国家の品格 (新潮新書)」を読みながら。
「すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論!」と帯に書いてある。
その通りか否かでいうと、個人的には「あなたの(筆者の)年齢になったらそういう風に思うもんじゃないの?同じような事を祖父母も言ってた気するよ」って感じた時点では否かと。
但し、強い印象を持ったのが、「英語を話せる人=国際人と勘違いしている人があまりにも多い」という主張。
確かにアメリカ人、イギリス人が全て国際人な訳が無くて、英語が話せる日本人がすべからく国際人であるはずもない。
文中にあったように明治維新直後に欧米に留学した日本のエリートは、下級武士出身で英語はアルファベットすら知らずに渡ったのにも関わらず、現地で絶大な尊敬を集めて帰国した。
事実、僕が通っていた高校は帰国子女がかなり多く、ほぼネイティブ率が非常に高かったけど交歓留学生や、修学旅行でカナダに行った時も、より多くの現地の人と深い交流ができたのは彼らではなかった。
逆を考えれば簡単な事で、日本語ぺらぺら(もちろん英語も)で国際事情に通じてて知名度も高いけど、人間的中身が薄そうなデーブスペクターよりも、日本語苦手そうで世の中の動きなんてどこ吹く風な琴欧州の方が人としての深みを感じて魅力がある。
そう僕に思われた時点で、琴欧州は日本人に評価されたという点で国際人なのではと。
そんなこんなを考えていたら、やっぱり僕はデビを育てるにあたっては、親から引き継いだ感覚を(現代風にカスタマイズせずに)伝える義務があるんじゃないかなぁと感じた。
自分のルーツに自信持って良い事なんだと改めて気付かされたという点で僕にとって有意義な本だったと思う。
と、ここまで書いて気が付いたけど、帯の「すべての日本人に誇りと自信を与える・・・」のまんまだ!没個人っぽくて嫌だなぁ(笑)
帰りはかなり強い雨に降られたので、駅からバス(停留所一つ分)に乗って帰宅。
デビは絶好調。
晩御飯は中華で、久しぶりの酢豚。旨かった。
子供の頃は酢豚があまり好きじゃなくて、好きじゃない中でも食べられたミートボールばかり食べて怒られた気がする。
本場の酢豚はミートボールじゃない、と聞いた事あるけど、そんな事どうでもいいや。
旨きゃいいのよ。カリフォルニア巻きなんざぁ寿司じゃねぇって思ってたけど、食べてみたら存外旨かったからいいやってのと同じ?