5歳212日目と1歳と43日目 親として

先週金曜日、仙台のお客さんと1週間ぶりに電話がつながった。
と言うより、電話をいただいた。
「ご無事でしたか!」とこちらからの投げかけに対しての彼の
第一声は「14日にもらうはずの見積書がまだ来てないんだけど」
とのことだった。
これには完全に一本取られたのと同時に、彼の余計な気遣いを
させまいとする気遣いに感動した。
見積は作成していたものの、出社の可否どころか安否確認も取
れない状況の彼に対して、見積書をメールで送る事はためらわ
れたので、東京本社側の担当者に相談して、本社側に送付して
おいたんだけど、彼は早くも出社して本来の業務に戻りつつあ
ることに、ニュースから見る状況との差異を感じ、嬉しく感じた。
仙台中心部のオフィス街はライフラインはかなり早くから復旧
していたらしい。
とは言うものの、自宅の損傷は免れたもののライフライン復活
には程遠い状態で、出社には至らなかったという事らしい。
他にもうちの社宅には東北方面出身者が何人かいたが、幸いに
も家族の無事が確認できたとのこと。
まずは何をおいても良かったと思う。
報道で見る被災地は、かつて出張の折に訪れたことのある地も
多く、いわき、東松島仙台港辺りの惨状は目を疑うものばかり。
特に、いわきには個人的にお世話になった方もいらっしゃるが、
事業所の電話は繋がらない状態が続いている。
僕自身は地震当日に護国寺にあるとある雑居ビルにて打合せを
していた。
1回目の地震発生後に打合せを中止し、ビルの外に出て、同僚と
タクシーを拾おうとしたものの既に叶わず、まずは池袋まで出
ようと歩いていたところ、2度目の地震
雑居ビル同士がぶつかりそうなほど揺れていた。
その時、頭の上からあり得ないほど大きな飛行機の音が聞こえ
てきて、見上げて見ると、なんとANAのジャンボが東京タワー
より低いのではないかという高度で、護国寺上空を飛んでいた。
これを見て「とんでもないことが起きた」と認識し、足を速めた。
池袋に歩きながら状況を把握すると、東北沖が震源と分かる。
東京でこれだけ揺れたとしたら・・・と暗然とした気持ちで家族
の無事を何とか確認し、会社と連絡し、電車が全て止まっている
ため帰社が困難であるため、帰宅する旨連絡。
それから、千葉方面の同僚はひとまず会社まで歩いて戻ることに
し、僕は何とかその日中に帰宅した。
帰宅すると、かみさんが走って出てきて抱きついてくる。
デビは大喜びでやっぱり出てきて、食事中だったらしく次女は
ベビー用の椅子の上から満面の笑顔。
やっぱり自宅に帰り着くと緊張の糸が切れるらしく、全員すぐに
寝入ってしまった。
翌土日は朝からガソリン確保と当座の食料確保に走った。
これは、今考えると反省しきり。
ただ、当日の心境を思い起こすと次に東京に地震が来たら、とか
被害の状況や自分の周りの環境に関する情報が無い状態なので、
自分と家族を守るための方策があれこれ頭によぎって不安の極致
だったので、仕方がなかったと自己弁護。
子供達はやはり通常でない空気を敏感に感じていて、デビは妙に
殊勝に家の手伝いを買って出てくれるし、次女も「パパ!」と叫
んでは振り返ると笑顔を見せる。
昼間のこうした見栄の反動か、デビはオネショをするようになった
し、次女は夜泣きをするようになった。
気を付けてフォローしなきゃ。
かみさんも意識して近所の友達を家に呼んだり呼ばれたりを繰り返
しているみたい。
原発に関しては、事故発生直後からかなり正確な情報に触れる事が
出来ていたので、比較的冷静に過ごすことができた。
同僚の御家族に福島原発の運転員の方がいて、その方経由でおおよ
その状況は聞く事ができた。
多分、その方も全ては僕の同僚に伝えていなかったと思うが、少な
くとも「今すぐ東京から逃げるべきって状況じゃない」というのが
分かったのだけでも随分有り難かった。
加えて、高校時代の友人のお兄さんが物理学系(特に原子力)の研
究員としてアメリカにいて、その人からも福島原発の構造や今取り
沙汰されている放射線の種類とその減衰距離、減衰時間等を聞けた
のもので、これもあって「とにかく現地の作業員の人頑張れ!」と心の中で応援を続けていた。
先週、タクシーに乗ると、運転手は色々なお客さんから色々な事を
聞くせいか、かなり感情的なことを言う運転手が多かったものの、
僕が触れてきた情報の性質や中身を伝えると、「そういうことを
テレビでやってほしんだよね!」と。
僕も本当にそれには同意する。
さて親として。
今回たまたま偶然にも正確(と思われる)ニュースソースに触れる
事ができたので、冷静な対応というか、自分自身の心の平静を保つ
事ができている。
僕のこうした姿勢が、かみさんを落ちつけているし、子供達にも、
ひいては社宅や周りの人達までにも伝播しているのが良く分かる。
数多ある情報の中から、今の自分や家族にとって、社会にとって
重要なものをいかに選び出し、それを分析し、冷静に対応するか。
買い出しに走った僕が言うのもなんだけど、そこに努力を惜しま
ないことが、親としての子供に対する義務や責任だと感じている。
今後の教育、恐らくそのうち購入する不動産、いつか訪れるリタ
イア後の人生等々。
世の中の風潮や人の目に流されることなく、本当に必要で自分の
価値観に沿うものを見出していく。
これこそ、震災発生直後の今、僕が親として感じている責任感で
ありプレッシャーである。