産後123日目

昨日は淡々と一日が過ぎていった。
3連休明けだったのでいつものように朝の通勤が多少辛く、会社では連休、特にクリスマスイブの過ごし方についてあれこれ話し、今年中に処理すべき仕事を淡々とこなし、少し残業して帰宅。
でも晩御飯は美味かった。
弟のバリ土産のナシゴレンの素を使ったナシゴレン(そのまんま)と生春巻き、モロヘイヤのスープ。
昨日は一日かみさんの体調が思わしくなかったので、デビはほぼ一日放って置かれたそうで若干不機嫌だった。
寝がけにデビの寝顔を見ながらのんびり話してたら、ちょっと幸せな感じで何気に気分が良い。
僕も子供の頃、トイレか何かでふと起きたら隣の部屋で両親が僕の事を話しているのに気が付いて、でも何話しているのかは分からないんだけど、何かとても幸せな気分になって寝たフリして聞き耳立ててたのを思い出した。
悪い事やった夜の場合は逆に耳塞いでたけど(笑)
そう考えると、どうも親としての主観で物事考えがちだったけど(それでいいのかもしれないけど)、子供だった自分に立ち返ってみて、これからの子育てを考えるってのも大事かも知れないと思う。
何も言われて嫌だった事を子供に言わないとか、子供に都合の良い子育てって事じゃなく、当時親がしてくれた具体的な事を思い出し、今の僕の人格や思い出を形作ってくれたものを良い形で子供にも伝えてあげたいと言うか。
そんな感じの事を言うと、そのままで十分子供には伝わっていくものだと言う人が多いんだけど、そうだとしたら今の子供達の(報道で見る限りの)荒廃ってなかったんじゃないかと。
やっぱり親が子育てにはストイックにならなきゃいかんと思うわけで、それは子供を社会から守るのではなく、社会で生き抜く力を身に付けさせる事だと思うわけで、そのためには基盤となる家庭に自信を持ってもらわないけないわけで、そのためには強い父ちゃんの存在は重要だと。
巡り巡って自分の父親像に辿り着いた。そう思える今の自分は幸せだと思う。