打ち合せでタイピング

昨日の打ち合せ時にもいたんだけど、打ち合せしながらその内容を同時にPCにタイピングする人。
気が散るというか好きじゃないなぁ。
ノートに手書きで書くのと何が違うの?と言われると、道具と方法が違うだけで目的は同じで、ただ馴染みがないだけなのかも知れないので返答に困るんだけど、人がしゃべるたびに「カタカタ」とタイピングされるのは、何か言質取られているような嫌な感覚がある。
それに、ノートに手書きする時って大抵の人はノートを机の上に広げて書くから、こちらからも見ようと思えば見える。
それがノートPCだと当然こちらから画面が見えないので、何書かれているか確認できない。それも嫌な気分になる一因だと思う。
何となく相手の気持ちを無視した行動というか、自分にとって便利なだけの合理的な行動。
そういう意味じゃ、電車の社内の化粧(それを嫌がる人の気持ちを無視し、移動時間を合理的に使う)とかにも通じる感覚なのではないかと感じる。
両方とも当然法律を犯していないけど、それまでの日本社会では良しとされなかった行動であり、感覚って意味では共通していると思うし、法を犯していなければなんでも有りって感覚の最たるもんがホリエモンだったのではと(法犯したみたいだけど)。
そういう感覚が引き起こす身勝手な行動のせいで、誰もが少しずつ嫌な気持ちになったり、傷ついたりすることが重なって、今の社会の閉塞感が形成されていって、今言われる社会問題が発生したんじゃないかって、「風が吹けば桶屋が・・」みたいだけど、関連性は感じる。
そんな状況にあって、最近議員の中に「権利より義務を優先した伝統社会の復活を」といった声が上がるようになってきて、谷垣財務相もそんな趣旨を掲げている。具体的な実現解に関しては難題山積だと思うんだけど、個人的には大賛成。
でも、谷垣さんは某所で僕の具申(年金の余分な支払い分の返却義務化とそれを財源にした少子化対策にすれば?って意見)に対して、「yasbayさんのおっしゃられたことは重要な問題ですが、まぁ少子化対策に特効薬はありませんから」と一蹴したので未だに嫌い(笑)
個人が少しずつだけ自分に歯止めをかけるだけで、世の中ずっと住み易くなると思うのは僕だけかなぁ。