がんの進行と今後

一時退院して自宅から通院での療養を続けていたお義父さんの病状が悪化し、再
入院してからおよそ2週間経った。
まず始めに脳腫瘍の摘出&ガンマナイフによる治療が行われ、言語能力が著しく
回復したので、退院して原発箇所であった肺ガンに対して抗ガン剤での治療を続
けていた。
自宅療養中は、抗ガン剤の副作用もあって体調万全とはいかないものの、それで
の僕たちが遊びに行くと起きてきて、色々な話もできていた。
ところが2週間前に、昏倒せんばかりに前後不覚となったため、緊急再入院。
MRIの結果、最初に摘出した箇所に癌が再発しており、その範囲も広範囲にいたる
ために外科的摘出もできず、ガンマナイフも適用できないとの事。
結果、放射線の全頭照射により、癌の進行の低下もしくは縮退を目指すという治
療を取る事になった。
照射は一日につき1回を全20回行う。
先週末にデビを実家に預けて、かみさんとお見舞いに行った時には6回が終了した
後の週末で、我々を認識してくれていたし、デビも事も気遣ってくれていた。
再入院直後は、トイレに行きながら転んでしまって肘に怪我をしてしまったり、
いきなりベットの柵を引き抜いて投げてしまったり、言動の制御ができない状態
にあったそうなので、放射線の効果はある程度あったと言える。
月曜に医師から現状と今後についての説明がある、との事だったので、急遽夏休
みを取ってかみさんとまた病院に行ったんだけど、あいにく急な手術が入ってし
まい、説明は聞けずに実家に帰った。
で、昨日の朝、16時から先生の時間が取れたとの事だったんだけど、悪い事にデ
ビが風邪を引いたので、かみさんが行くわけにも行かないため、急遽午後休みを
取り病院に行った。
お義母さん、義兄、義叔父が参加し、個室で説明を受けた。
ポイントは、確実に末期に向かっている事、放射線治療が完了した時点で、脳外
科としての治療は終了となる事、放射線治療が効果を表しても、それは一時的な
事、これから出てくる症状としては、右半身の麻痺、言動の凶暴化の可能性があ
る事、病院では癌を治癒する、または進行を抑える治療は行っても、患者の苦痛
を和らげる緩和治療は行わない事。
総合すると、放射線治療が完了する8月末以降は病院を退院させられる公算が高そ
うだ、という事が分かった。
となると、自宅に戻ってくることになるんだけど、自宅にはお義母さんが一人で
いるために、お義母さんが看病することに。
しかし、言動の凶暴化の可能性があるために、それは避けたい。
で、まずは病院に所属している在宅医療のアドバイザーであるソーシャルワーカ
ーの方に相談に乗ってもらった。
結論からすると、とにもかくにもできるだけ早く、認定者であるケアマネージャ
ーの方に病院に来てもらい、認定してもらうこと。
同時にソーシャルワーカーの方と連絡を取りながら、ホスピスを探すこと、の2点
を進める事が必須と分かった。
さっそく、今週末にうちの実家に来る予定の、元脳外科看護士でケアマネージャ
ーの資格取得中である弟の奥さんにアドバイスを求めることにする。
同時にお義母さんには市役所に行って、介護認定の所定の手続きを進めてもらう

といった事を、病院の帰りに寄ったファミリーマートで確認した。
こういう時って親戚同士になると意外なほど建設的な意見は出ないものだと実感
した。
当然お互いの正確や気持ちを思い計るので、本音をそのまま口にできないところ
があるのが分かる。
なので、僕は冷たいと思われても構わないから、合理的かつ全員の負担の少ない
選択肢に導いていくしかない、と思い極め、親族の話にも首を突っ込んで話を仕
切らせてもらった。
とにかく、お義父さんの苦痛を和らげること、看病するお義母さんの負担を軽く
すること、これを大前提にしないと、結局はかみさんにも負担がかかり、デビに
も負担がかかり、うちの実家にも、僕にも、といった風に関わる全ての周りの人
に負担をかけてしまう、という事を認識してもらう努力を続ける事が肝要だろう

話が終わったのは20時前。
鎌倉駅でビールを買ってグリーン車に乗って池波正太郎の「堀部安兵衛」の高田
馬場の決闘の場面を読んでいたらアッと言う間に東京駅。
丸の内口までかみさんが向かえに来てくれていたので、実家に向かう車中であっ
た事、見聞きした事、感じた事を伝えた。
かみさんは神妙に聞いていたけど、僕が今後とる役回りについて心配していた。
実家に帰るとデビは鼻を垂らしながら機嫌が良かった。
とても疲れた・・・