愛国心とは

昨日の終戦記念日を受けて、昨今の愛国教育云々に思いを巡らせた。
僕は、家族を守るために愛国心は必要だと考えている。
現在議論されている愛国とは、愛国心という実体のないものに、国歌斉唱や国旗
掲揚といったフォーマットを当てはめ、そのフォーマットへの対応により、愛国
心の有無を問われる、というもののようで、率直に違和感を感じる。
但し、国歌を歌わなかったり、国旗掲揚を軽んじる行動にも違和感がある。その
理由や主張に筋が感じられないから。
僕自身、国歌や国旗に「いわゆる」愛国の感覚はないし、戦時中の「日本のため
」とか「お国のため」という言葉には拒否反応がある。
でも、何故愛国心が必要で、家族と関係があると考えるのか。
それは、「今日われ生きてあり」という特攻隊隊員の手記を読んでから、第2次大
戦に赴いた人々の心が少しだけ分かった気がした事がきっかけ。
特攻隊で出撃した10代後半から20代前半の若者達は、その手記を読む限り、戦後
に作られた右翼的イメージとはあまりにもかけ離れていた生身の人間で正直驚い
た。
彼らは自分の愛する家族が置かれている状況(敗戦色が濃くなってきて、明日の
身の安全すらおぼつかない日本)に対して、何かをしないではいられない当事者
意識が強く、その体現の場が特攻だったのではと。
この当事者意識こそが愛国心なんだと思う。
平常の社会であれば家族に危険が及ぶ可能性は個人的で限定的(強盗、火事、交
通事故等)で、自分がすべき事も個人的で限定的な対策で良いと思う。
それが、社会の状況そのものによって家族に危険が及ぶ場合、戦争だったり天災
だったりの場合は、その社会に存在している当事者意識が強ければ強いほど、自
分と家族を守っていればいつか状況が変わる、という日和見的に生活していく事
はできないと思う。
で、具体的な行動を取るとすれば、やはり個人行動による打破はできないので、
その状況を打破する事のできるシステム、戦争だったら軍隊や外務省、天災だっ
たら自衛隊消防団等に参加し、状況打破に貢献したい。
この自発的に貢献したいという思いが愛国心と言えるならば、愛国心と家族は切
っても切れない関係なのでは、と思う。
この当事者意識は、何も危機的状況でなくてもいかんなく発揮できるはずであり
、ボランティアだったり、お年寄りに席を譲ったりといった日常において、より
フットワーク軽く他人と助け合う事ができるのでは。
そういった当事者意識を醸成する教育を愛国教育として実施するなら、親として
否やを言うつもりは毛頭ないし、ボランティアとして参加したいとも思う。