1歳と27日目 穏やかに

今日から3連休明けで会社に行く予定だった。
昨日はYシャツに自分でアイロンをかけたし、何かあったときの事をお義母さん、かみさんと話し合って決めていた。
晩御飯は腕によりをかけて作った、栄養満点の鶏鍋。
かみさんが気を遣って買ってきてくれた芋焼酎をちょっと飲みすぎ、真っ赤な顔をしてたけど、お義母さん、かみさんと、ここ数ヶ月を振り返り、選択を誤ってこなかったこと、結果として今入院しているホスピスが本当に素晴らしい事を話して、23時頃就寝。
お酒飲んでたのもあるし、今日から出勤予定だったのもあって、僕はお義父さんの部屋に寝ていた。
朝5時、電話の呼び出しが鳴ったと夢の中で思い、ガバっと目が覚めたように思い、布団を剥ぐと、やっぱり目が覚めていて、電話が鳴ってる。
暗い時間なので、「まさかなぁ」と夢の続きの頭で思い、「!!!」と半分起きた頭で思い、とにかく子機を掴んで電話に出た。
病院からだった。
遅れて部屋から出てきたお義母さんに代わる。
お義父さんの呼吸が荒くなって、危険な状態なのですぐに来いとのこと。
20分で全員用意を済ませ、まだ夢の中のデビにミルクをあげながら車に乗り、病院へ。
車中、お義父さんの兄弟を中心に、方々へ連絡しながら、朝焼けで江ノ島の向こうに富士山が見える絶景をぼんやり眺めながら病院へ向かった。
病院へ付くと、お義父さんの状態は小康状態だった。
就寝状態から起床状態への交感神経の切り替え時というのが、危険なタイミングらしく、何の病気でも早朝に亡くなる事が多いのはそのせいらしい。
お義父さんも危険な状態に陥ったものの、まずはこの切り替えのタイミングは乗り切った様子だった。
7時頃から続々と親族が集まってきて、みんな神妙な面持ちでベッドを囲むものの、小康状態のために変化は無く、かといって既に意識の殆どないお義父さんと言葉を交わせるものでもなく、呆然と2時間ほど時間が経った。
そのうち、とにかくみんな近所にいるため、一度自宅に戻ってもらい、何かあったら連絡して駆けつけてもらうことになった。
これが決定した時点で8時過ぎ。
僕は出社に間に合わないため、急遽休みをもらうことにした。
このホスピスには家族室が備わっており、布団を敷いて休むこともできるため、独断で利用を申し込んで、かみさん&デビを休ませることにした。
その間にお義母さん&お義兄ちゃんは、お義父さんの死亡が確認されると遺産となってしまい、取り扱いが一気に面倒になる銀行口座からの当座の出金や雑用のため病院を離れた。
お義父さんの病室には僕が一人で残った。
お義父さんの口には酸素マスクが着けてあるけど、想像してたよりかなり簡易なシステム。
病室のソファーベッドに横になりながら、会社と取り急ぎのメールのやり取りをしながら付き添う。
時折看護婦さんが入ってきて、痰を取ってくれたり、点滴をチェックしたり、血圧や脈拍をとっていく。
それまで呼吸のたびに当然のように膨らんでいた胸が、膨らまなくなり、肺でというより、喉で呼吸するようになった。
それを確認した看護婦さんが、「呼吸が浅くなって、血圧も落ちてきたので、ご家族の方を呼んでください」と。
改めて親族に電話して来てもらったのが13時過ぎ。
考えてみると、10時過ぎから13時近くまで僕が一人で付き添っていた。
お義父さんの容態は徐々に死に近づきつつも、急な変化は無く、みんな病室を出たり入ったり。
僕とかみさんもデビが騒ぐたびに出たり入ったり。
16時の医師の診察により、「離れないでください」との事。
一同、ベッドの周りに詰め、殆ど口を聞かずに見守った。
ふと僕は「お義父さんが幸せだ」と思った。
3人兄弟の末っ子のお義父さんは、順番で言えば兄弟を看取った最後のはずなので、自分の最後の時には本来見守ってくれるはずのないお兄ちゃん達に見守ってもらえてる。
それこそ別途の周りには10人がいて、最期を看取るために集まってくれたのは、ある意味幸せだと。
そして、数十分後。
少しずつ呼吸が浅くなっていき、最後はフッと、まるで蝋燭を吹くような息をしてお義父さんは亡くなった。
本当に穏やかに、全く苦しんでる様子もなく、顔も本当に穏やかな最期だった。
本当に蝋燭の火が消えるような最期だった。
その後、病院側との事務的な対応は全て僕が行った。
お義母さん、お義兄ちゃん、かみさんのフォローしかできない。それしかできない。
明日から、家族を亡くした家族に多大な負担のかかる一連の時間が来る。
今はとにかく裏から最大限に支えていくしかない。
うちの両親も心温まる本当に気配りを感じる申し出をしてくれた。ありがたい。
弟からも心のこもったメッセージをもらった。ありがたい。
お義兄ちゃんから腹を割った気持ちを聞けた。ありがたい。
会社の上司も最大限の理解とフォローをしてくれた。ありがたい。
そして、かみさんから、辛いだろうに、心からの感謝の気持ちを伝えられた。ありがたい。
明日はこれらの思いへの恩返しのためにも、お義父さんの最期の最期を飾るお手伝いをしたい。