5歳21日目と216日目 感受性

かみさんと娘二人は、鎌倉の鶴岡八幡宮である流鏑馬をデビに見せたい
ということで土曜日から鎌倉に帰省中。
土日は本当に何もせず床屋に行った以外はグウタラと過ごしてしまった。
床屋に向かう途中、テニスラケットを持って帰宅途中のサラリーマンと
おぼしき人や、ジョギング、草野球帰りの人達を見るにつけ「このまま
じゃいかんなぁ」と思ってみるものの、先日の草津白根山へのプチプチ
登山でハァハァやって、それがとてもストレスだったことを思い出して
やる気が失せる自分。
あぁ、入社後3年くらいまではトライアスロンすらやっていたのになぁと
思いつつ、キックボクシングを途中で辞めてしまったことを薄ら後悔し
つつ。
家族がいれば気合いの入る料理も、結局焼きそばとかソーメン、蕎麦ば
っかり。そのせいかどうも腹が具合が今ひとつ。
先週、晩御飯を終え、かみさんが次女を風呂に入れている間にデビにド
リル(数字の計算)をやらせながら、テレビを見ていた時のこと。
九死に一生スペシャルみたいな番組だったんだけど、がけ崩れに遭った
けどとか、洪水で流されたけど生還した、といった映像が出てきて、
「お〜良かったねぇ」とか「危なかったねぇ」とかデビと話しながら見
ていた。
その後、テロに遭ったけど、といった内容が出てきた。
インドネシアだったかどこかで、主人公が友人と食事中にテロリストが
入ってきて銃を乱射、周りの人たちがみんな死んでいく中で、主人公は
死んだ振りをしていたおかげで助かったという内容。
僕が何気なく「怖かっただろうねぇ」と言いデビを振り返ると、デビは
両眼に涙を溜めていて、僕が話しかけた瞬間に「こんなの悲しすぎるよ!」
と言って泣き出してしまった。
「ハ!」とした僕は急いでデビを抱きしめてやり、「遠くの国の昔あっ
た事だよ」と言い訳のように繰り返した。
デビが知らない人の理不尽な死に対して感受性を見せたことに驚いたと
共に、僕の感受性が低くなっていることに愕然とさせられてしまった。
これはとても重要なことだと思う。
親が、ニュースや普段の生活で触れる他人に対する感情や言動を、子供
はとても注意深く見ている。
例え自分や家族にとって影響が無く、個人的にも感情移入できないよう
なニュースや他人の不幸なんかでも、それに対する無関心さとか非情さ
というのは、子供に伝播していくものだと思う。
無理に喜怒哀楽を表わす必要は無い。
ただ、その事実に触れた時、一瞬でも当事者の身になって考えれば出て
くるはずの無い言動ってあると思う。
そう言った意味で「怖かっただろうねえ」は嘘では無いものの、死んで
しまった人達のことは完全に頭から外れていて、デビの感じた理不尽さ
から言えば何と他人事で非情な言動だったかと。
独善的とか偽善的な態度とかということではない、「良識のある親」で
ある努力をしていかなくては。